リヴァプールの125年 その頃、日本では

2017-06-04

1892年6月3日、リヴァプールFCが誕生しました。今年は125周年という節目の年。

Happy Birthday Liverpool FC!!

公式サイトでは125年を125秒で振り返るという動画も公開されています。無料で見られるので是非!

125年・・・真の歴史を持つ、偉大なクラブだという事を再認識させられますね。
しかし同時に、途方も無い昔の事ゆえ、イマイチ実感が湧かないという思いもあります。
そこでリヴァプールFC、125年の歩み、その節目節目に日本では何が起きていたかという事を、纏めてみました。

明治

1892年(明治25年) リヴァプールFC誕生

その頃日本では・・・
第2次伊藤内閣発足
初代内閣総理大臣として、歴史の教科書には必ず出てくるビッグネームですね。

芥川龍之介誕生
こちらも誰もが知っている文学界のレジェンド。

二人とも完全に歴史上の人物。改めて125年前ってメチャクチャ昔だな。
そんな中、現代との繋がりを感じる、ある出来事を発見しました。

きんさんぎんさん誕生
30代以上の人なら覚えているのではないでしょうか?
「きんは100才100才ぎんも100才100才」で一世を風靡した双子のおばあちゃん。
お二人とも既に亡くなられていますが、なんだか懐かしい知り合いに出会えたような気分です。
リヴァプール、きんさんぎんさんと同い年だったのか。

この頃の日本でのスポーツはというと、野球は既に大変な人気を博し、頻繁に試合も行われていたようです。
テニスもかなり広まっていて、野球が男のものだったのに対し、女性の間で親しまれていたようです。
サッカーもこの頃には伝わっていましたが、在日外国人が中心で広くは普及していなかったようです。

1901年(明治34年) 初めてチャンピオンに

その頃日本では・・・
八幡製鉄所操業開始
田中正造が足尾銅山鉱毒事件について明治天皇に直訴

大正

1914年(大正3年) 初のFAカップ決勝へ

今なお続く、世界最古のサッカー大会。そろそろ優勝する姿が見たいですね。

その頃日本では・・・
宝塚少女歌劇(現在の宝塚歌劇団)、初公演
今なお絶大な人気を誇る、宝塚歌劇団がこの年、第一回公演を行います。

しかし、そんな華やか話題の一方で・・・

第一次世界大戦勃発

1922年、1923年(大正11年、大正12年) 初のリーグ連覇

しかし、この後は低迷。黄金時代の到来には至らなかったようです。

その頃日本では・・・
サンデー毎日創刊、グリコ発売
今日まで続く大衆文化が芽吹き始めますが、一方、

関東大震災
天災に見舞われた年でもあります。

また日本サッカーにとっても大きな出来事がありました。
前年、1921年に大日本蹴球協会(日本サッカー協会の前身)創設、ア式蹴球全国優勝競技会(天皇杯の前身)開催、そして
1923年 第6回極東選手権大会での中国、マレーシアとの試合が日本初の国際Aマッチとされています。(2戦とも敗戦。)

昭和

1939年(昭和14年) 第二次世界大戦勃発

1959年(昭和34年) ビル・シャンクリー、監督に就任

2部で低迷していたリヴァプールに転機が訪れます。黄金時代の礎を築いた、シャンクリーの登場です。

その頃日本では・・・
日本教育テレビ(現テレビ朝日)、フジテレビを始めとする幾つものテレビ局が放送を開始
王貞治、プロ第一号本塁打を記録

スポーツ観戦文化の下地が出来始めた頃と言えるでしょうか。

1964年(昭和39年) 1部リーグ優勝 ユニフォームが全身赤で統一される

まさにこれからが黄金時代。そしてユニフォームや、「THIS IS ANFIELD」などシャンクリーのアイディアで「レッズ」の誇りが培われていく時期です。

その頃日本では・・・
東京オリンピック開催

リヴァプールが優勝で沸きかえっている頃、日本もスポーツで盛り上がっていました。

1973年(昭和48年) 初の国際タイトル、UEFAカップ優勝

その頃日本では・・・
読売ジャイアンツ、V9達成

お茶の間でのスポーツ観戦が当たり前になっていた時代ですが、サッカーはまだまだマイナースポーツでした。

1974年(昭和49年) FAカップ優勝 ビル・シャンクリー勇退 ボブ・ペイズリー、監督に就任

シャンクリーからペイズリーへと、黄金時代のバトンが渡ります。

その頃日本では・・・
ガッツ石松、世界王者に

ケニー・ダルグリッシュ、イアン・ラッシュといったシャンクリー監督時代のレジェンド達は、今も元気な姿を見せてくれていますが、日本にもメチャクチャ元気なレジェンドがいました。

1983年(昭和58年) リーグ、フットボールリーグカップ優勝 ボブ・ペイズリー勇退

その頃日本では・・・
プロレスが大人気
ハルク・ホーガンに敗れたアントニオ猪木が舌を出し失神、スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディがタッグ戦で王者になるなど、外国人レスラーが猛威を振るっていました。

1985年(昭和60年) ヘイゼルの悲劇

この一連の流れの中で簡単に取り上げて良いものか、迷いましたが、やはりリヴァプールの歴史を語る上では、外す事は出来ないと思い掲載します。
その頃日本では何が起きていたかについては割愛させていただきます。

平成

1989年(平成元年) ヒルズボロの悲劇

昭和から平成。この二つの悲劇は決して遠い昔の事ではありませんね。
リヴァプールファンであれば決して忘れてはならない出来事です。改めて犠牲者の皆様のご冥福をお祈りいたします。

1990年(平成2年) ディビジョン1優勝

現時点で最後の国内リーグ優勝です。

その頃日本では・・・
貴花田、若花田が揃って幕内へ
日本中が熱狂した若貴ブームへとつながっていきます。
一方サッカーは93年にJリーグ開幕を控え、嵐の前の静けさといった状況。

1998年(平成10年) スティーブン・ジェラード、トップチームデビュー

その頃日本では・・・
長野オリンピック開催
日本代表、ワールドカップに初出場
この頃になるとJリーグの影響もあり、海外のサッカー選手も、日本で一般的に知られるようになってきますね。

2001年(平成13年) カップトレブル

FAカップ、リーグカップ、UEFAカップの三冠を達成しています。

その頃世界では・・・
日本ではなく世界の動きとして、
wikipediaの開設、iPod発売など、後にサッカー界にも多大な影響を与える、デジタル時代が始まろうとしている時期でした。

2005年(平成17年) イスタンブールの奇跡

その頃日本では・・・
小泉劇場、ホリエモン、お笑いブーム
色んな目立ちたがりが、メディアを賑わせていましたが、全部合わせても、インパクトはイスタンブールの奇跡の10分の1くらいですね。

さて、イスタンブールの奇跡から10余年。
当時からファンだった人もファンでなかった人も、これ以降は実感として、あの頃は何があったかと思い出せると思いますので、現時点で多くのファンの最高の思い出、イスタンブールの奇跡で締めさせていただきたいと思います。

2つの大戦、2つの悲劇。
低迷期も幾度もありました。
それらを乗り越えての栄光。
改めて、その歴史に敬意を表したいと思います。
そして、ここから先の未来が輝かしいものでありますよう。

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